霧とリボン
愛書家のための小間物ブランド《霧とリボン》のブログ
DATE: 2017/09/03(日)   CATEGORY: ESSAY
《バレエに寄す〜ジゼルを想う、姉妹の物語》
霧とリボン9月の企画展はバレエ作品がテーマ。もう十年以上前になりますが、バレエについて寄稿した一文を掲載したいと思います。吉屋信子『花物語』にオマージュを捧げた姉妹の物語。美しい挿絵は、霧とリボンの企画展でも折々にご紹介してきた鳥居椿さまによるもの。当時はまだ面識がなく、こんなにも耽美な絵を描かれる鳥居さまはどんな方なのだろう・・・と思いを馳せたことを懐かしく思い出しています。

お楽しみ頂けましたら幸いです。



バレエに寄す
ジゼルを想う、姉妹の物語


ミズトレス・ノール


鳥居 椿

雑誌『エスカルゴスキン』2号(2005年)に掲載

ジゼル_blog

 晩春の小雨が、初戀の告白を囁くように優しく降る夕べのこと、リラの館、と呼ばれる古いお屋敷に住まう百合子と鈴子の姉妹は、レース編みの手を休めて、ふくよかに薫る紅茶を頂いておりました。

「ねえ、お姉さま、昨晩のお話をしてくださらない? お姉さまとお友達の瑠璃子さん、とてもお綺麗だったもの。あの薄桃の絹のドレス、お袖のふくらみもたっぷりとしていて、殊に素敵ね……昨晩は『ジゼル』をご覧になったのでしょう? 『ジゼル』のこと、最初から最後まで、すっかりお聴きしたいわ」

「……昨晩は劇場で、瑠璃子さんのご友人にもお会いしましたのよ。その方、雪子さんとおっしゃるのだけれど、薄ラヴェンダーの、絹モスリンのドレスをお召しでいらして、ご本人も楚々と可憐なご様子、まぁ、ジゼルみたい……と、皆が噂していましたわ」姉の百合子は、室内に広がるベルガモットの香を追うように、目差を漂わせています。

「その雪子さん……ふと視線を落とされた時のご様子が、なにか物憂いを含んでいらして、特別な身の上をお持ちの娘さんの風情なの。わたくし、なんだかとても気になってしまって……そんな心持のまま、ジゼルを拝見しましたのよ」妹の鈴子は、百合子の瞳に宿る幽愁に惹きつけられるように、じっと耳を寄せていました。

「幕があがって……舞台は葡萄狩りの季節を迎えた山間の村……美しい村娘のジゼルは、アルブレヒトとの戀に夢中なの。露西亜のバレリーナの、たおやかなステップや可憐なマイムのひとつひとつに、ジゼルの一途で純粋な愛を感じましたわ……どこまでも慎ましく、清らかな愛を……」

「でも、お姉さま、アルブレヒトは、本当は貴族でいらして、バチルド姫さまの婚約者なのでしょう? 本当のことをご存じないジゼルがとても可哀相だわ」鈴子は、御ませに口をとがらせて百合子を見つめます。

「そうなのだけれど……露西亜のダンスール・ノーブルのアルブレヒトは、偽りのない愛を、心からジゼルにそそいでいるのよ。一途であるがゆえに、一瞬のきらめきのように儚い愛の誓い……うっとりするほど純真に、二人は囁き合って……だからバチルド姫があらわれて、本当のことを知ってしまったジゼルの嘆きといったら! か細いからだ全部をアルブレヒトへの愛でいっぱいにしていたのが、一瞬でそのすべてが悲しみに変わってしまったの。正気を失ったジゼルは、とうとう息絶えてしまって……ジゼルの大きな嘆きが、皆のこころにも苦しく響いて……」

 姉妹の双の瞳からは、小さく光るものが頬をつたってゆきました。百合子は続けます。

「そして……舞台は、夜深く月のひかり射す森の、沼のほとりへ。そこは、未婚のまま死を迎えた乙女の霊、ウィリーの女王ミルタが支配する暗い森……ウィリーたちは、通りかかる男のひとを息絶えるまで踊らせる怖い精霊なの。ジゼルに好意を寄せていた森番のヒラリオンも、ジゼルのお墓参りにきたところをつかまって、命を落とすのよ」

「長いチュチュをお召しの、たくさんの踊り子さんがあらわれる場面でしょう?」鈴子は、ことのほか瞳を輝かせます。

「そう、その群舞はそれはそれは幻想的なのだけれど、実は、この世とあの世が行き来する、死のあわいの場面なのよ。墓碑から蘇ったジゼルも、幻のようにふわふわと、美しいけれども人を惑わす怖さを湛えているの。白百合を抱えてあらわれたアルブレヒトもまた、ウィリーたちに捕えられるのだけれど、深い悔恨の気持ちにふれたジゼルは、すべてを許して、必死で彼を守ろうとする……二人の踊りは、死のあわいを行き来する無償の愛の物語となって、見る人のこころを打つの……あわやかな幻のように、美しさと怖さをあわせ持つジゼルに戸惑うアルブレヒトの姿は、わたくしたちのこころの奥に眠る、死というものへの畏れのように思えてならないの。そう……モスリンから透ける、雪子さんの青白き小さな肩も……」

 言いかけて、ふと百合子は口を閉じました。御ませな鈴子といえど、少しばかり大人びた話題かもしれない……と。

「人間と精霊とのあわいを揺れうごくジゼル、それは、愛ゆえに……しかし、朝を告げる鐘が鳴り、ウィリーは朝靄へと消え、永遠の別れの時が二人に訪れる……ジゼルもまた墓碑へと消え、朝のひかり射す森の中にひとり、アルブレヒトは虚しく佇んで……」

 あわれ、ジゼルの物語に想いを寄せる姉妹の頬にもまた、晩春の小雨が優しく降りそそぐのです。



霧とリボン 企画展
《バレエ詩集 vol.1〜ラ・シルフィード》

[会期]
2017年9月17日(日)〜9月23日(土)
[営業時間]
13:30〜19:30 *最終日のみ〜18:00まで
[会場]
霧とリボン 直営SHOP “Private Cabinet”

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