霧とリボン
愛書家のための小間物ブランド《霧とリボン》のブログ
DATE: 2014/08/21(木)   CATEGORY: ESSAY
少年性を追った夏〜サマーソニック2014
 サマーソニック初日へ。

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 スタジアムの円形に縁取られた天井画のような空。刻々と表情を変えてゆく美しさと共に大好きな音楽を堪能する。夕暮れへと向かう空の肌理のなんたる美。灰色の雲が覆い、雨をもたらし、やがて雲間から光が射し虹が弧を描いて……


 The 1975は《Robbers》が特に素晴らしく。夕暮れ前の夏の午後、少しの倦怠が頬を過ぎるようなメロディライン。物憂い空に浮かぶ雲のグレイに少年の憂鬱を見る。

☆Robbers☆


 マシュー君のカリスマ性はスタジアムの広さをものともしない煌めきがあったけれど、開放的なステージのリラックス感も手伝って、一個の星が誕生したかのごときアンコントロールなカリスマ性の爆発は今年2月の赤坂BLITZの方が凄まじかった。不良少年のノーブレスは変わらず漂う。

 デビューが遅かったためなんとなく二十歳ぐらいのイメージだけれど、ボーカルのマシュー君は1989年生まれの現在25歳、Arctic Monkeysとほぼ同世代である(アレックスは1986年生まれの28歳)。この事実を思うと尚のこと、The 1975の新しさに驚愕する。実力的にも存在としても現時点ではArctic Monkeysが格上であることは歴然としているけれど、The 1975の前ではArctic Monkeysでさえ英国音楽史の上にお行儀良く存在している普通っぽさがある。

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The 1975のfacebookより引用

 マシュー君は新時代の不良少年である。連綿とあり続ける「Sex, Drugs and Rock & Roll」から意図せず分断された不良少年に思えてならない。音楽少年たちから否が応でも立ち上る(個人的にとても苦手な)ロック臭がなぜかまったく感じられないのだ。不良少年でありながら澄み切った清潔感、いや、無菌感と言い切ってしまってもいいぐらいの清廉が身体を覆っている。今回のホワイトジーンズがまたこの感触を眩しいまでに加速させていた。

 この無菌感はいったいどこからくるのか。我が妄想も加速する。

 男性の声変わりについてパスカル・キニャールは書く。
 「声において生ずるこの翳りが少年を定義し、この翳りによって、少年は、少年という状態から成人した男という状態に移行する。男とは、翳りを帯びた者、翳りを帯びた声を持つ者だ。彼らは自分の咽喉から消えた小さな鋭い声を求めて、死ぬまでさまよう。」(『音楽のレッスン』吉田加南子訳・河出書房新社より)

 マシュー君にはこのような普遍的な男性性は今のところ、何処を探しても見つからない。「小さな鋭い声」は今もなお身体に留まり続け、彼を捕え、その少年性の牢獄に彼自身が蝕まれている。さらに、その少年性がどこかしらフェミニンなムードを帯びている様もまた特異だ。…そう、彼のセクシーさは彼自身がこの身体に戸惑い、持て余しているところにある。それを払拭しようといくらタトゥーを入れても肌はよりいっそう輝きを増すばかりでちっとも「Sex, Drugs and Rock & Roll」に至らない。

 「成人した男」の刻印を纏えば纏う程、内なる少年性が皮膚を透過して光を発する。比喩ではなく、ステージ上で彼は本当に光を放っている!……おお、なんたる悲哀であろう! この、「成人した男」に移行した形跡がまったくみられない皮膚や骨格が無菌感を生んでいるのだろうか…。「女の子が大好き!」とキュートに公言するマシュー君ではあるが、PVなどでの女の子とのショットはどこか居心地悪そうで、人を寄せ付けない生来の孤独がまた無菌感を呼び込むのだ。

☆Chocolate☆


☆Chocolate☆

 かようなマシュー君のカリスマ性に飄々と、ノンシャランに並列するバンドの風景は実に新しい。ロケンローな気負いがないところも彼らの音楽性にフィットしていてとても素敵だ。CDジャケット、SNSに公開するモノトーン写真からライヴの告知ポスター、テキスト原稿(スラッシュ、半角アキの大文字のみ)に至るまで、ヴィジュアルコントロールが完璧になされているところもまた素晴らしい。

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ライヴの告知は毎回このフォーマット。美しい……
(The 1975のfacebookより引用)


 少年性の行方をこれからもつぶさに見届けてゆきたいものである。



 そして、涼しさと共に全てを吸い込む闇が訪れた。いよいよヘッドライナー登場である! AMの波形も無事来日。

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 Arctic Monkeys、全てが吹き飛ぶぐらい凄かった!

 ベストは《Brianstorm》のイントロ。AM仕様のテンポ遅めではなく、AMを通過してもう一度2ndに戻ったような重量級で最速の疾走感にたましいが底から燃え上がった。

☆Brianstorm☆

こちらはテンポ遅めの渋く大人っぽいアレンジ

 ハードな音作りだけれど決して骨太ではない。グルーヴもうねるようであるが音の質感はあくまでもドライ。そして一番好みなのは、音世界の一番奥に、ほんの少しでもバランスを崩せば切れてしまうようなバルネラブルなワイヤーがピンと張られ、少年期からの痛々しいまでの過敏な神経が在り続けていること。この点、The Clashを思わせる。

 《Brianstorm》のイントロでそのワイヤーが切れる寸前まで張られ、完璧に同期した4人の呼吸が組み手の間合いのような絵面を描く。この呼吸にスタジアム全体が飲み込まれる。少年性の隠れ家たる禁断のワイヤーに直に触れた瞬間である! おおげさではなく、この刹那のために幾星霜、生を繋いできた、と断言できる程の体験であった。

☆The Clash“London Calling ”

 パンク以降の英国音楽が好きなのは、マチヅモから離れた少年の繊細さがあるから。それが90年代に入りOasisの登場でいったん途絶えたように(私には)思えたけれど、やはり繋がっていたのだなぁ…とArctic Monkeysを観て。そして10年代、マシュー君を筆頭に英国音楽青少年たちの繊細ぶりはただ事ではない様相を呈している。

 《Brianstorm》が超高速だった分、次の《Don't Sit Down Cause I've Moved Your Chair》がより重く、渋く、深く響き渡り、この奇跡のような展開に気絶寸前であった…。

☆Don't Sit Down Cause I've Moved Your Chair☆

 野外のスタジアムでコンサートを鑑賞したのも初めて。「スタジアム級のバンド」がどういうものか、単なる動員数ではない彼らの強度に鳥肌がたった。いまある世界がこの一点に収斂したかのような凄まじい音の密度、この光景を形容する言葉はこれから先も見つけることはできないだろう。若さ故の勢いそのままに成熟をはじめたバンドの苛烈な温度感を直に浴び、それを跳ね返すパワーにまったく欠けている自分を発見し、愕然とする。(……ゲツセマネの園でイエス様を前に弟子たちが寝ちゃったのってきっとこれだと思う。受け止めることができなかったのだ。) 英国で彼らのようなバンドが生まれるのはミュージシャンの層が厚いだけじゃない、聴く側にその極限の美を受け止める用意があるからだと思い至る。

☆Crying Lightning☆

もっとも好きな楽曲のひとつ。ジェイミーのどこか不穏なギターラインも美しい…

 アレックスのセクシーさもまた極限であった。残念ながらリーゼントというよりオールバックだったけれど、御髪が乱れた時の横顔の美しさはもはや罪である。乱れた髪をコームで整える様もサイコーにカッコつけててGood job。まさに休止符までが決まっている男、ティボルトのようであった。さらなる美の加速を期待したい。

 英国音楽をほとんど聴かなかった00年代。そのブランクにArctic Monkeysがいたわけだけど、その空白を燦然と充填してくれただけでなく、90年代と10年代を最高のかたちで繋いでくれた。迷子の追憶を一閃の美しい光が貫き、あるべき場所へとそっといざなってくれた狂おしい程完璧な一夜であった。



 80年代、思春期のほとんどを英国音楽(主にThe Smiths)に捧げた。おそらくこの時初めて「少年性なるもの」を発見し、その謎めいたものがたましいに根を降ろした。英国音楽を聴き続けることはとどのつまり、姿を変えて生き続ける少年性を追い求めることなのだろう。つくづく、一日でいいからエディ・スリマンになってみたいものである。

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The Smithsのファースト・シングルとファースト・アルバム


 まだ見ぬ音楽の中の少年たちに……


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